ピアノ教室のあるある話

次女の同級生に大督(だいすけ)君という男の子がいました。
次女とは同じクラスになったことはなく、小学校、中学校とやんちゃな男の子で、あまり接点がありません。

お母さんとはPTAの集まりや子供会の集まりでお話しすることもあり、仲良くさせていただいていましたが、大督君と私は中学校時代には話したことがありませんでした。

中学校を卒業して4年くらいたった頃、近所のスーパーで大督君のお母さんにバッタリお会いしました。

大督母「私ね、重野ちゃんに会ったら、前からお願いしたいと思っていたことがあったんよ。うちの大督にピアノを教えてもらえない?」

「ピアノ??それはいいけど、大督君、ピアノ弾くの?」

賢二母「それが大好きなんよ。昔からピアノがやりたくてずっと『習わせて!』って言われてたんだけど、楽譜も読めないし、誰もそんな子教えてくれないじゃない?ピアノを弾くことだけ教えてって頼めないじゃない?
でも、重野ちゃんならもしかして教えてくれるんじゃないか、と思って」

私には、そのやんちゃな大督君が今どんな風になっていて、どんなピアノを弾きたいと思っているのか、まったく想像が出来なかったのですが、お母さんの一生懸命な様子を見て、その親子のやり取りが微笑ましく、お引き受けすることにしました。

そして、大督君の最初のレッスンの日。
楽譜の読めない大督君は、何も持たず、手ぶらで身一つでやってきました(笑)

中学生の頃のやんちゃな雰囲気はなく、なかなかの好青年になっていて、きちんとご挨拶もでき、「中学校の頃とはなんだか雰囲気が変わったね~」というと、「ありがとうございます」と頭を下げる。

話し方も、ちゃんと自分の言葉でハキハキ話し、ピアノを弾く前から「あ~~、いい男の子になったんだなぁ」と感心して、すごく気持ちよく話が弾みました。

昔悪かったから、話したことがないし、とか、楽譜も読めないし、とかいう理由で会う前に断らなくて良かった!

「それで、今日は何を弾いてくれるの?」
大督「あの、僕が今一番ハマっている曲なんすけど、どうしてもここが分からないんです」

と、ゲームで流れる曲を弾いてくれました。

その曲のタイトルは忘れてしまいましたが、とてもきれいな曲で、その演奏にもびっくりしてしまいました。
この曲が好きだ、ということがヒシヒシと伝わってくる演奏で素晴らしい!

「ねぇ、それは全部耳でコピーして弾いているの?」
大督「はい。どうしてもわからないところや絶対違う、と思うところは、お母さんに楽譜を読んでもらって音を教えてもらうこともあります」

「すごいね~~、それが全部頭に入ってるんだね」
大督「毎日弾いてますから!本当にこの曲大好きなんですよ」(目を輝かせる)

「そうなんだ!私、その曲聞いたことがないから、問題の弾けないところがどうなってるのか教えてあげることが出来ないんだけど、おうちに楽譜はあるの?」
大督「はい、あります。今度持ってきます!」

それからのレッスンは、私がまず数小節ほど楽譜を読んで弾き、その鍵盤の場所やリズムを彼が見聞きして、覚えて弾く、という共同作業をすることになりました。

それはその後何年も続いたのですが、彼はそれはそれは熱心に通ってきて、お家では、近所の人が「音大を受ける子どもさんがいるの?」とお母さんに聞くくらい毎日ピアノに向かって、練習をしていたそうです(笑)。

そのゲームの曲が終わり、次はショパンのノクターンが弾けるようになり、ついに彼の憧れの「幻想即興曲」に挑戦することになりました。

大学を卒業するまでにどうしてもこの曲が弾けるようになりたい、と、ずっと言っていて、その目標達成のためにさらに熱を上げて練習をしてくれました。

一回のレッスンで4小節から8小節を覚えて帰ります。

そしてそれが出来るようになったら「次を教えてください」とメールが来ます。
それがどんどん弾けるようになるから不思議!そしてどんどん増えても忘れないのが素晴らしい!

そして、

「あ~~~~ここいいですよね!」
「俺、ここ大好きなんすよ!」

「わぁ~~~早くここが弾けるようになりて~~~!」

という彼の言葉に、私自身も、毎回すごく元気をもらいました。

こんな言葉が素直に口から出せて、こんなに目を輝かせてピアノに向き合うって、なんて素敵なことなんでしょう!

その彼の存在は、うちの教室の生徒のお母さん方にも大きな影響を与えました。

まず、レッスン室に入る彼を見て、ある生徒のお母さんは

「あの子の顔を見ていたら自然と涙が出ました。本当にここに来ることが楽しみで嬉しくて仕方がない、という顔ですよね。ワクワクしながら笑顔でレッスン室に入る姿を見て、『あ~~この顔をしばらく忘れていたなぁ』と思いました」

と話してくれました。

また、別のお母さんは

「本当に好きだ、とか、弾きたい、っていう気持ちって、大事ですよね。うまい下手じゃないんですね」

と、そして

「楽譜が読めなきゃダメ、楽譜が読めないと音楽が楽しめない、ってずっと思っていましたけど、読めなくてこんなに苦労しても、どうしても弾きたい、と思ったら、こうやって必死に覚えて、喜んで練習するんですね。びっくりです」

と感心していました。

私は、楽譜が読めない大督君に、楽譜の読み方を教えるのではなく(彼は楽譜が読めるようになりたい、と思っているわけではなかったので)、楽譜にかかれていることを整理して、簡単なパターンを見つけて伝える、という作業をしました。

そのことが私自身もすごく勉強になり、今、他の生徒たちを教えるうえでも役に立っていることは言うまでもありません。

大督君は、常に大きな目標を持っていて、それを達成するための準備や行動を考えています。

彼はピアノ以外でも、夢だったスコットランド留学を実現させ、さらにそこで身につけた英語力を磨くために、大学卒業後ワーキングホリデーを使って1年半、カナダに渡りました。

英語がうまく話せなかった時でも、ピアノを弾くことでコミュニケーションが取れるという貴重な経験もして、いつか外国人の友達と連弾が出来るようになる、という新たな目標も出来たようです。

そしてさらに次の夢をかなえるべく、今は日本に戻り、広島で仕事をしています。

私の中で、昔『ワル』の大督君は、夢に向かってコツコツ努力する大学生になり、さらに野望を持ち、希望にあふれる社会人へと変わっていきました。

やってみたい、やりたい、という小さな夢を現実にしていくことで、どんどん自分の可能性に期待していく。

ピアノを通して、素晴らしい成長を見ることが出来て、あらためてこの仕事の素晴らしさを痛感した、幸せな思い出です。