先週、頑張り屋さんの美紗ちゃん(小2)のお母さんから電話がありました。
お母さん(美紗ちゃんのおばあちゃん)が転んで入院したとのこと。

高齢で、転んだショックもあり、昼夜逆転しているので、しばらく付き添いで病院に寝泊まりするので、レッスンをお休みします、ということでした。

次の日がレッスンの予定日だったので、今週はどうするのかな?おばあちゃんの容体はいかがですか?というお伺いのメールを送りました。

以下はメールのやり取りです。

美紗母「母の容体も落ち着いてきましたので、今週はお伺いしたいと思っています。コンクールの事でご相談もありますし・・・」
「そうですね。美紗ちゃんも不安定になっている事でしょうから、あまり無理をしなくてもいいのではないかと思いますよ」

美紗母「美紗は、出来る限り頑張った方がいいんだろうなぁ、でも曲が難しくて・・・と、ぐずぐずとトンネルのど真ん中にたたずんでいます」
「なるほどね。本人の気持ちが一番だよね」

美紗母「私自身、事情が事情なので無理をしない方がいいという思いと、出ることに意味があるという思いで交錯しています。本人は、難しいので止めたい思いもいっぱいのようで・・・。迷っています」

「そうか・・・。本人が止めたい、と思っているのなら、今回はそうしてもいいかもしれないね。美紗ちゃんは今他の人の事はわからないから、自分だけが出来ないと思っているのかもしれないけど、みんなけっこう暗礁に乗り上げているよ(笑)」

美紗母「はい。他の人たちもみんな苦労している事は口が酸っぱくなるほど伝えてはいるのですが・・・。
先生、私が辞める勇気が出ないです。でも、それが無理をしているということでしょうか?」

「あ~~わかる!母親って厄介な生き物だよね。頑張る事が大事、なんて正論を言うけど、自分の子供に、ただただ頑張ってほしいんだよね。
きっとそんなお母さんの気持ちを美紗ちゃんは痛いほどわかっているから『辞める』って言えないんだよ。頑張った方がいい、頑張らなければいけない、と思い込んでいるんじゃないかな」

美紗母「私がそのように仕向けているんですね」
「そう思う? ここは、正直に『辞めてほしくないのは本当はお母さんなの。苦しめてごめんね。美紗ちゃんが辞めたかったら止めてもいいよ』って伝えてみたら?すっきりするよ!」

美紗母「なるほど。そうですね!やってみます!有難うございました<(_ _)>」

そして次の日、美紗ちゃんは明るい顔で元気にレッスンに来ました。お母さんもすっきりした表情でした。

美紗「先生、今回のコンクールは辞めます」
「そうなんだ。了解!よく決心したね~。じゃぁ今回はみんなの応援に回ろうね!」

そう言った時の美紗ちゃんの表情がちょっと寂しそうだったので、ちょっと質問をしてみました。

「美紗ちゃんはコンクールに出たくなかったの?それとも曲が嫌だったの?それとも両方嫌だったの?」
美紗「曲が嫌だった・・・」

「そうなんだ・・・。じゃあ、曲を変えたらコンクールに出たいの?」
美紗「出たい(即答で)
美紗母「え??そういう方法がありましたか・・・・(驚)」

「だったらこれからでもできそうな曲を見つけてみようか!?」
美紗「うん!」

美紗ちゃんは元気な笑顔でピアノに駆け寄ってきました。

おばあちゃんの怪我は大変なハプニングでしたが、美紗ちゃんの重荷をおばあちゃんが背負ってくれたのかもしれません。

お母さんも自分の思いを美紗ちゃんに正直に話せた事で、「こうでなければいけない」の呪縛から解き放たれたような気がしました。

本当に母親と言うのは困った生き物です。
「正論」という便利な言葉を使って、子どもの選択肢を狭めていたり、自分の思い通りに誘導してみたり、知らず知らずのうちに手かせ足かせを作っています。

そしてお母さん自身もその「正論」の呪縛から抜け出せないでいるのです。

正論は頭の片隅に置きつつ、「今回はこの選択」「この子にはこの道」というようなその場、その子の合わせた勇気ある選択が出来るといいな、と思います。

結局美紗ちゃんは、短期間で新しい曲を仕上げる、ということになり、前よりも、かなりいばらの道を歩く羽目になりました(笑)。

しかし、自分で選択し、自分でやってみようと思ったことだからか、表情はとても明るいのです。
そして必死に練習をしています。

レッスンお休みする、って言っていたことは、今では、なかったことになっています(笑)