コンクールの締め切りが近いというのに、一向に練習が進まない舞ちゃん(中1)。
バッハのシンフォニアと格闘しています。
練習をしていないわけではないのですが、なかなか「各声部を最後まで暗譜しよう」の条件をクリアできない。
とても難しい課題なので、私の方も「曲をいくつかの部分に分けてもいいよ」とか、「一声部ずつ弾く時の指使いは気にしなくてもいいことにしよう」とか、条件をどんどん下げて、なんとか合格にこぎつけられないか、と模索しています。
お母さんから
「今回も間に合いませんね・・・。
今回は勉強・クラブとピアノの両立が難しいので、『欲張らずに行こう』と話し合ったのですが・・・いつもと同じことを繰り返しています。」
と落胆のメールが届きました。
舞ちゃんは、音楽をつかむのがうまく、譜読み(音符を読む)も速く、ざっと弾くのはとても上手です。
ただ、読み方が大雑把のままで練習するので、「音間違い」や「リズムの勘違い」によるおかしな癖がついてしまい、それがなかなか修正できません。
そして「指使い」をじっくり考えたり、「楽譜をじっくり読むこと」が苦手です。
おそらく、ざっと弾けた時点で「出来た」と思って、他の新しい曲の譜読みにも手をひろげているのでしょう。
「気がついたらどの曲も、レッスンできる状態じゃなかった」
「どの曲も、ただ弾いただけだった」
・・・と、レッスンの時に話してくれることがあります。
お母さんとは数年前から「(応募の)締め切りまでにコンクールが受けられる状態まで弾けていなかったら、申し込むのをやめましょう」と話しあっていました。
毎年、その意思は確認していますが、お母さんは今年も「私が申し込み忘れてはいけないので」という不安で、ついつい早めに申し込んでしまっているようでした。
そして今回も同じ。
いまだ条件がクリアできていない状態で・・・。
「声をかけているのですが・・・。舞なりに考えてやっているんだ、と思って、任せてしまっていました」と。
私は母として、舞ちゃんママの気持ちがすごくよくわかるのです。
娘たちがコンクールを受けていた時、焦りで気が狂いそうになっていたのは私の方。
どうにも娘たちが「どうにかなる」と甘く考えているような気がして、口うるさくお尻を叩いていました。
(声をかけていた、というようなレベルの優しさではなく・・・)
私の中にあった「頑張ってほしい」という強い気持ちは、たぶん娘たちの「頑張ろう」という気持ちを、大きく上回っていたんだと思います。
そこで、私は「申し込みまでに仕上がっていなかったら、コンクールには申し込まない」という提案を娘たちにしました。
娘たちは私が「本当に申し込まないこと」を知っているので、それはそれは必死で練習をし、自分で参加申込書をポストに入れて、ポストに手を合わせて拝んでいました。
今ではネット申し込みなので、そんな風景も見られませんね(笑)
娘たちが必死になったのには、理由があります。
私は娘たちが小学校高学年になった頃から、「お互いの約束が守られなかった場合、心を鬼にしてその約束を実行する」・・・と決心しました。
だから、約束を守れなかった時は「たとえお金が無駄になっても、色々と周りの方々にご迷惑をかけることがあっても、私が頭を下げ、覚悟を決めてキャンセルする」・・・ということを心に決めていました。
例えば
「宿題が終わってないと、コンサートには連れて行かないよ」
「練習していなかったら、レッスンには連れて行きません」
と前々から約束していたことに対して、万が一やっていなかった場合。
「帰ったら必ずやるんだよ」「今回だけよ」「今度、同じことをしたら絶対にダメだからね」といって連れていくことはやめて、どんなに娘たちが泣き叫んでも連れて行かない・・・ということです。
ただし
『「前々からの約束」であること』
『私がその日までそのことに関して、常に声をかけていること』
が条件です。
「お母さん、そんなこと言ってなかったじゃないの!」と言われたことがあったので
ある時。
次女が、私から提案していた練習をきちんとしておらず、娘たちが楽しみにしていた外国の先生のレッスンに、ひとりだけ連れて行かなかった時がありました。
「嫌だ、行きたい」
「お母さん、ごめんなさい」
「ちゃんとやるから」
と泣き叫ぶ次女を置いて家を出て、片道2時間もかかる距離を無言で運転して・・・。
私の方が泣きたい気持ちでレッスンに行きました。
今、この文章を書いているだけでも、当時のことを思い出して胸が苦しくなります。
長女は急遽2時間分のレッスンを受ける羽目になってしまい、それはそれで、大変なことでした(笑)
もちろん、先生にもご迷惑をおかけして申し訳ないことでした。
そして、レッスンに行った私たちも、家に残された次女も・・・その6時間のあいだ、何とも言えない、忘れられない気持ちを味わいました。
本当にこれでいいのか。
このやり方が正しいのか。
と、自問自答しました。
ただの脅しではなく「お母さんは本気です」ということを伝えないと、同じことを繰り返すのではないか、と思ったのですが・・・現実にそうすることは、私自身もまた本当に辛い、心に重石が乗るような体験でした。
最初は娘たちに言い聞かせようとして「有言実行」を掲げたのですが、実際にやってみると、やる方もやられる方も本当に覚悟が必要で、「次からはちゃんとやってね」と説教をして、そのまま連れて行く方が100万倍も楽だ、と痛感しました。
さすがにそういう嫌な思いを一度、経験したら
「もう二度とあんなことはしたくない、次からはどうすればいいか」
と・・・娘たちだけではなく、「私」こそが、本気で考え始めました。
例えば、「休みの日に出かけたい」「遊びに行きたい」と思ったら、「何時に起きて練習したら、行けるか」と考えるようになり、私が朝、まだ寝ている時からピアノの音がしていることもありました。
ここまで痛い思いをしなければわからないのか・・・とも思いますが、「「心を鬼にする」というのはエネルギーも覚悟もいる大変なことだ」と心底、思い知った体験でした。
舞ちゃんママには私の体験談を話し、舞ちゃんにはレッスンの時に、「この曲ができるまで、少しこの曲一本で頑張ってみない?」と提案し、期限を決めて、それまで一緒に頑張る約束をしました。
舞「他の曲は、しなくてもいいんですか?」
私「今やっている予選曲は時間があったら、残りの時間で練習することは自由よ」
舞「わかりました」
私「本選曲の譜読みが気になると思うけど、今は浮気禁止! 目の前の課題に取り組もうね!」
と約束しました。
新しいものが好きで移り気な舞ちゃんには、これまで何度も「浮気をしない」と言っていたので、舞ちゃんも苦笑い。
その後で、舞ちゃんママに「どちらの方法を選んでも、いいからね」と前置きして、プールの水替えの話をしました。
私「例えば、大会直前に、プールの水がすごく汚くなって入れ替えをしないといけない時、お母さんならどうする?
ぜんぶ水を抜いて、プールを掃除して入れ替える?
でも、そうすると数日間全くプールが使えなくなっちゃうの。本番前だし、それはそれで困るよね・・・。
もう一つの方法は、半分ずつ水を替えながら、プールは使い続ける。
これならなんとか練習はできるよね。」
舞母「後の方でしょうか・・・」
私「うんうん、その方が練習にはあまり支障がないよね。
でも、水が本当にきれいになったかはわからないの。
完全にきれいにはならないかもしれないし、いつまでそれを続けたら終わるのかも、わからないんじゃないかな・・・。」
舞母「本当ですね・・・」
私「そういう時は『どっちが大事か』を考えたらいいんじゃないかな・・・。
本当にプールの水をきれいにしたいか、それとも練習を休みたくないか。
それで決断したら、どっちの方法もありだと思うよ。」
舞母「それって、本当に舞自身に『期限までに、やらないといけない』って気がついて欲しいか、それとも、何回これを繰り返してもコンクールを受けさせるか、っていうことですよね?」
私「お母さん、すごいね、そこまで考えてくれて。
お母さんが毎回、繰り返されている今の状態を『本気でどうにかしたい』と思ったら、痛みは伴うかもしれないけど、水の総入れ替えをすることをおすすめします。
でも、せっかく申し込んだんだし、それは次からで・・・。
と思ったら半分ずつ入れ替えることをおすすめするよ。総入れ替えにはお母さんの覚悟がいるからね。」
舞母「そうなんですよね。結局、私の覚悟なんですよ・・・。
舞の責任ばっかりじゃないんです。
私自身『音は聞こえてこないけど、多分やってるんだろう』と、流していたところがあったんです。」
私「素敵だね。
お母さんのその正直な気持ち、素晴らしいと思う。
それを舞ちゃんに話して、プールの水をどちらの方法で入れ替えたらいいか、話し合ってみるのもいいね。残念ながら、当時の私にはそれが出来なかったんよ。」
舞母「いえ、自分でプールの栓を抜くことを想像しただけでも、怖いです。
いかに自分が口だけで舞を脅し、そこまでの覚悟がなかったかがわかります。有言実行って本当に難しいことですね・・・。」
私「そうだね。
本当に、叩いた方も叩かれた方も、どちらの手も痛いんだ・・・と痛感したよ。
私にもまだまだやれることがあったな、と反省したの。」
舞母「本当です。舞の問題ではなく、私の問題でした。」
「心を鬼にする」って本当に大変なこと。
辞書で調べてみたら、どの辞書にも当然ながら同じようなことが書いてありました。
相手のためを思い、同情しがちな気持ちを抑えて、あえて厳しい態度で接すること。
情にほだされそうになる心を抑えて、相手のことを考えて、意識的に非情の態度をとること。
「鬼の形相で怒る」事の方がうんと楽でした。
無意識ではありますが、私が長年「鬼の形相」を愛用していたことにも納得がいきました