加代ちゃん(小5)のレッスンは月曜日です。

その日はレッスンが始まる前に、お母さんが私に、コンクール予選を受ける時期と会場の相談をされていました。加代ちゃんは、お母さんが勧める時期はいいけど、会場に余りいい思い出がないのか、今一つ乗り気ではない様子。

「嫌な会場ばっかりじゃん・・・」と口をとがらせていました。

お母さんは「何がそんなに嫌なの?結構いい演奏出来てたんじゃないの?」と勧めておられましたが、どうしても何かがひっかかっているようでした。

結局、レッスン前の短い時間では予選の時期(会場)を決めることが出来ず、その日は気まずい雰囲気を残したままレッスンに突入することになりました。

まず一回通して弾いてみて、いつもの質問をしてみました。

「はい、どうもありがとう。今の演奏どうでしたか?」

加代「・・・・・」

しばらくして、もう一度

「ねぇねぇ、加代ちゃん。どんな演奏だったか忘れたのかな?もう一度弾いてみる?」

加代「・・・・」

「それとも今考え中かな?」

加代「・・・」(頷く)

「そっか、じゃあ待っとくね!」

しかしその後もずっと沈黙が続き、多分このままだと答えられないだけでなく、口を開くことにも勇気がいるだろうな、と思うくらいの時間が流れました。

10分以上の時間が流れて・・・

お母さんも私も何も言わずに加代ちゃんの、しゃべろう、という気持ちのふんぎりがつくのを待っていたのですが、そんな雰囲気も無く、どんどん時間が過ぎていき、加代ちゃんは涙目になっていきました。

そこで私は全く違う質問をしてみました。

「加代ちゃん、お魚好き?」

唐突な私の質問にびっくりした加代ちゃんは、下に向いていた顔を上げて、私の方をきょとんと見ました。

「全然ピアノに関係ない質問だね(笑)。加代ちゃん、お魚好き?お魚食べられる??」

加代(少し笑って頷く)

「そう!じゃぁ、ちょっと待っててね!鯵の南蛮漬け持ってきてあげる!」

加代+加代母「え?」(二人とも目を丸くして私を見る)

「お~~~!?すごくいい顔になったね~~!嬉しいなぁ!!その顔が見たかったんよ~~~」

本当は何かお菓子がなかったかなぁ、と思って頭の中でリビングを思い浮かべたのですが、その日に限って子供が喜びそうなお菓子が我が家には何もなく、頭の中には夕ご飯のために午前中に作った「鯵の南蛮漬け」しか浮かんで来ませんでした(汗)

そして2階に駆け上がって、小さめの鯵を一尾お皿に入れてレッスン室に戻りました。びっくりしながらも、言われるまま、鯵を食べる加代ちゃんを見ながら、私の昔話を聞いてもらいました。

私が中1の時に祖母が亡くなりました。

身近な人がいなくなるという初めての経験に、どうしても現実が受け入れられず、泣き続けていました。
どれだけ泣いても泣いても涙が止まりませんでした。周りの親戚が心配するほど涙に暮れていたのです。

その時に親戚のおばさんが私の口にぽんと飴玉を入れました。

不思議なことに、その飴玉の甘さが口に広がっていくにつれて、私は元の悲しい気持ちに全然戻れなくなりました。

どんなに悲しいことを思い出しても、どんなに無理やり涙を絞り出そうと思っても、スイッチが変わったように気持ちが一変したことに自分でも驚きました。その時の出来事が忘れられないの、と話しました。

「だからね、煮詰まった時、どうしても悲しい気持ちがおさまらない時は、何か口に物を入れて一服することにしてるの。加代ちゃん、おいしい?」

加代「はい!」

「わぁ、きれいに食べたね!上手だね~~。これでちょっと元気が出たかな?」

加代(笑顔で頷く)

「よかった~~~、じゃぁレッスン再開しようか!」

加代「はい」

私はレッスン中にとにかくたくさんの質問をするのですが、生徒の中には「正解を言いたい」「間違えたくない」「早く答えなきゃ」「わかりませんって言いたくない」などなどの気持ちが渦巻いて、答えるタイミングを逃す人も少なくありません。

そういう時には、選択肢を与えたり、質問を変えたりして、答えやすい雰囲気を作る努力をしていますが、それでもどうしても空気が固まるときには、今回のように全然畑が違うことを質問すると、空気が流れ始めることがあります。

私はいつも手あたり次第、手探りで、あの手この手で生徒に向き合っているのですが、今回のことも忘れられない経験の一つになりました。

後でお母さんからお聞きすると、たまたま私は、お皿に鯵の南蛮漬けと付け合わせの野菜を載せていたのですが、その中に加代ちゃんの大好きなミニトマトがあり、それだけでテンションがぐ~~んと上がったらしいです。

良かった!

翌週のレッスンでのこと。一回目の演奏が終わって・・・

「ありがとう。加代ちゃん、今の演奏どうでしたか?」

加代「・・・」

「加代ちゃん、今日は頑張ってこたえてね!先生ね、朝から出かけてて、今日はまだ何も夕ご飯の準備できてないの(笑)
今日は鯵の南蛮漬けはないんよ!」

加代ちゃんは笑ってしばらく考えた後、答えてくれました。

加代「自分の演奏を聞くのを忘れてました・・・」

「え~~~??(爆笑)じゃぁ、もう一回やり直しね!」

加代「はい!(笑)

加代ちゃんにとって「聞くのを忘れました」と言えただけでもすごい進歩です。