ピアノ教室のあるある話
レッスンをしていると、「私の言葉と生徒の言葉が違う」と感じることがあります。
数人の生徒に、お互いの使う日本語の意味が少しずつ違い、解釈が違って、会話のずれを感じます。
うちの教室に外国人の生徒さんがいるわけでは、ないんです(笑)
レッスンの時に思う「私は、日本語を話しているんだけどな・・・」というぼやき。
「生徒たち用の辞書を作りたい」って本気で思ったこともあったし、どうしたらこのギャップが埋められるのかを、ずっと考えてきました。
たとえば『練習した』という言葉・・・
私の思う意味は
「弾けないところが、弾けるようになった」
だけど、生徒が思っている意味は
「ピアノを、弾いた」
というもの。
だからレッスンの時に、
私「今週はあまり練習できなかったの?」
生徒「やったよ」
私「そうなの? でも、ここまだできてないよ」
生徒「やったもん」
私「あのね、先生が言っている『練習した』っていうのはね・・・・(説明が続く)」
生徒「・・・(やったのに、と思っているのでほとんど聞いていない)」
そして別のレッスンでも・・・『最後まで弾けた』という言葉で思いっきりつまづく。
私の思う意味は
「最後まで、同じ速さでスムーズに弾けるようになった」
だけど、生徒はただただ
「最後まで、たどりついた(最後のページまで弾いた)」
というもの。
私「これだと何回も止まりすぎてて『最後まで弾けた』、とは言わないんだけど」
生徒「弾いたもん」
となる・・・。
そしてまたまた『暗譜ができた』という言葉でも、大きな違いが発覚!
私にとっては
「楽譜に書いてあることを、見なくても再現できるようになった」
という意味だけど、生徒はただただ
「楽譜を、閉じて弾いた」
というもの。
私「あれ? 途中から違うところを弾いているよ。ちゃんと暗譜で来ているかどうか、確かめないといけないね」
生徒「だって、弾けたもん」
となる・・・。
途中で別のところに行っていたり、少しばかり作曲したりしても、楽譜を閉じて何となく最後までたどり着いたら「暗譜した」ということになるらしい。
同じ日本語を話しているのに、なんだろう・・・このギャップは・・・。
考えてみたら、生徒たちの日本語はいたってシンプル。
そこに完成度のレベルとかはなく、「やったかやらないか」だけ。
日本語としては、決して間違っていない。
だったら私が話しているのは一体、何語なんだろう・・・。
そこの違いをわかって欲しい、と思って
「先生の言っている練習はこのレベルです」
とか、
「これでは練習したとは言わないよ」
って力説していたけど・・・ふと考えて、その期待を手放してみることにしました。
生徒たちの日本語に、合わせてみよう。
もともと、生徒たちはいつもシンプルすぎるほどシンプルに、省エネで答えるのです。
私「ここってどんなイメージ?」
生徒「明るい」
私「どんな風に明るいの?」
生徒「すごく明るい」
私「『明るい』にもいろいろ種類があるんじゃないの?」
生徒「めっちゃ明るい」
私「・・・」
敵もさるもの。「相手は外国人だと思うことにしよう」と心に決めました(笑)
生徒の「練習できた」に100%乗っかればそこまで腹も立たないし、私の日本語の意味を押しつける必要もない。
「練習、できてたね~~~」
「お〜〜、最後まで弾けたね」
「暗譜してみたんだね」
と、まずは敵の日本語に乗ってみることにしました。
その上で
「練習ができたら、次のレベルに行こう。次はexercise(エクササイズ)よ。これはちょっとレベルがあってね、まずはここが弾けるまでexerciseしてほしいの」
この私の提案に、めちゃめちゃ反応した仁君(小3)。
仁「英語? 次のレベル?」
私「そうよ。exerciseにはいくつものレベルがあってね、それを全部、クリアしてほしいの。仁君、できるかな・・・」
仁「やってみる!」
そして生徒たちの言う『最後まで弾いた』はそのまま受け止めて・・・。
私が求めているのはcomplete(コンプリート)、『暗譜した』はmemorize(メモライズ)と言い換えることにして、それぞれにレベルをくっつけて、注文を出すことにしました。
できるだけ「練習してね」とか「暗譜してね」という言葉を使わないように話してみたら・・・これが、なかなか難しい!
普段、いかに私がその「紛らわしい日本語」を連発していたかが、良くわかりました(笑)
レッスンの時の「ここは、どんな音で弾きたいかな」っていう質問に対しても、「明るい」「楽しい」という省エネの答えが返ってくるばかりでしたが、その答えに対しても、5W1Hで質問してみると、生徒たちが一生懸命に考えてくれることもわかりました。
私が
「どんな風に、明るいの?」
「もっと、具体的に教えてくれる?」
って聞いても言葉に詰まるばかりでしたが、
「ちょっと、一緒に想像してみようよ」
と言って・・・。
「この場面は、朝かな? 夜かな?」
「ここはお家の中なの? 外?」
「それって、一人? たくさんいるの?」
「子ども? おとな? 男? 女?」
「何してるの?」
などなど、探偵ばりにいろいろ質問することで、今まで何も考えていなくても、口から出まかせでも、とっさに出た言葉で音のイメージを作っていっていたら
「やっぱり、おじいさんにする」
とか
「やっぱり、独り言をしゃべってることにする」
と、生徒たちの方からアイデアが出て来たりして・・・。
なんだ、こんなシンプルなことでレッスンがサクサク進むようになるのか・・・。
と気づかされることもありました。
「練習」といえばこのレベルでしょう。
とか、
「暗譜」と言えばここまでやらないと「暗譜」とは言わないでしょう。
・・・というのは、私の中の常識であって、生徒たちのそれとは大きな開きがありました。
「いいですか? それは『練習』とは言わないんだよ」
と、何度も同じことをお説教されるよりも
「『練習』できたんだね。じゃあ、次のステージに進みましょう」
と言われる方が、その先の言葉を聞いてくれるんだ・・・と思うに至りました。
もちろん同じ言語を話してくれて、理解してくれる生徒もいます。
そういう生徒は本当にありがたい生徒であり、本来ならばお月謝を返上してもいいくらいの存在です。
普段から私にもっと感謝され、褒められるべき生徒たちでした。
旅行で例えるなら「パックツアー客」のように、生徒たちが全員、同じパックでレッスンができたら、楽ちんなんだけど・・・。
何割かの生徒さんは、常に「個人旅行」で「特別オプションコース」。
なかなか、その「パックツアー」は通用しない。
でも、現実には、そういうレッスンが思うように進まない「特別コース」の生徒さんから学ぶことが、とても多いのです。
そして「特別コース」の生徒たちはみんなユニークで、素晴らしい才能の持ち主でもあります。
その子たちのピアノ旅行を、一人だけ別のコースだったとしても、どうやって楽しいものにするか・・・。
日々、あ~でもない、こ~でもないと考えて、楽しんでいます。