ピアノ教室のあるある話
週末にコンクール予選を控えても、全然エンジンがかからない拓矢君(小5)。
月曜日のいつものレッスンで、ついにお母さんがキレてしまいました。
アルコバレーノでは欠伸をしたらレッスンはその時点で終了、という決まりになっているのですが、その日、私が真剣に話している最中に、拓矢君は不覚にも欠伸をしてしまいました。
それに気づいたお母さんが
「先生、もう、無理です。この子にコンクールを受ける資格なんかありません。コンクールは棄権させます!」
とレッスン室から飛び出してしまいました。
突然の出来事にびっくりして、玄関で「まぁまぁ」とお母さんをなだめたり、ご褒美に渡そうと思っていた鯛焼きを渡したり、まずはお母さんの気持ちを静めることから・・・。
拓矢君はその時、どうしていいのかわからず、ずっとピアノの椅子に座ったままでした(笑)
その後の話し合いで、しばらく拓矢君一人でレッスンに来ることを決めました。
お母さんには、うまくいったときには一緒に喜んでほしいけど、今の状態ではストレスがたまるばかり。
なので、しばらく離れてもらうことにしました。
状態が良くなったらサプライズで見ていただくことにして、翌日からコンクールまで毎日、拓矢君とレッスンをすることにしました。
火曜日。
一人で来る拓矢君はのびのびとしていますが、いつもよりもさらに集中力がなく、落ち着きもありません。
そわそわして、レッスン中に何度も何度も時計を見て時間を気にしたり、まったく人の話を聞いていないことがあったり・・・
私「拓矢君、先生の話聞いてる?」
拓矢「聞いてる」
私「でも、今、強弱を忘れてたよ」
拓矢「あ・・・」
私「もう一回やってみようね」
拓矢「はい」(また同じように弾き始める)
私「拓矢君、先生は今、何て言いましたか?」
拓矢「もう一回やってみようね・・・・って」
私「その前です」
拓矢「強弱をつける」
私「その通り! で、強弱はつけたの?」
拓矢「忘れました・・・」
その繰り返しでした。
そこで、拓矢君に質問をしてみました。
私「拓矢君、サーカスって、見に行ったことある?」
拓矢「テレビでは見たことがある」
私「空中ブランコとか、火縄くぐりとか、綱渡りとか・・・すごいよね?」
拓矢「うん」
私「あの人たちは命懸けでやってるよね。
今の拓矢君みたいに『あ、忘れた』とか言ってたら、空中ブランコなんて出来ないよね。
拓矢君だけじゃなくて相手の人も死んじゃうよね?」
拓矢「ぶつかって落ちるかも・・・」
私「そうだよね?
ピアノは忘れても間違えても死なないからのんびりしてるのかな?
ちょっと、サーカスの人くらい真剣に弾いてくれる?」
拓矢「やってみる」
とはいっても、忘れても痛くもかゆくもないので、その日のレッスンだけでは、拓矢君の集中力はそこまで大きく変わらず・・・。
そこで水曜日は戦法を変えて・・・真剣に音を出すまで、こちらも真剣に拓矢君に要求することにしました。
もちろん私の口調も真剣そのもの。
気を抜いた音があったらすぐに「今の音、どうしたの?」と拓矢君の手を取り、何回も弾き直してもらいます。
さすがの拓矢君も「いつもとは様子が違う」と感じたようで・・・その日、拓矢君は家に帰って「今日は先生に怒られた」と言ったそうです
子どもにとって、大人が真剣なまなざしと厳しい口調で話すと「怒られた」と感じるのかもしれません。
それならそれでもいいや・・・と思って、翌日もそのレッスンを続けました。
木曜日、拓矢君はビデオを持ってレッスンに来ました。
丁寧にビデオをセットしてレッスンにのぞんだのに、10分もしないうちにビデオは切れてしまいました。
バッテリーの充電切れでした。
私はそのことに気づきましたが、拓矢君は気づいていないようで、そのままビデオを持ち帰り、また金曜日もレッスンにやってきました。
その時もすぐにバッテリーが切れたので、レッスンを中断して拓矢君に質問してみました。
私「拓矢君、昨日ビデオ撮ってたけど、そのビデオ、家に帰って見ましたか?」
拓矢「見てません」
私「そうなの?? じゃあ何のためにビデオ撮ったの?」
拓矢「家で練習するときに思い出すため」
私「でも見てないんだよね・・・どうしてだろう」
拓矢「・・・・忘れてた」
私「そうか・・・じゃぁ、今日のも撮らなくてもいいね」
拓矢「いや、今日は見るから」
私「残念だけど撮れてないよ。昨日からバッテリーがないの。拓矢君気づかなかったんだね」
拓矢(ビデオのところに駆け寄って『おかしいな…』とあれこれ触る)「ビデオ、こわれた・・」
私「壊れたんじゃないよ(笑)、バッテリーを充電すれば動きます。でも今日はもう撮れないね」
拓矢「・・・・」
私「あのね拓矢君、この間、先生が話したサーカスの話、覚えてる?」
拓矢「覚えてる」
私「こんなんじゃ拓矢君、サーカス、クビじゃないかな・・・忘れ物やお約束を守れないことが多くない?」
拓矢「・・・」
私「今日はもう帰りましょう。まずは先生がお願いしたことを全部やってから来てくれるかな?
毎日ここに来ても、今のところ拓矢君はいろんなものを忘れていて、レッスンになってないもんね」
拓矢「え・・・帰りたくない」
私「そうだよね。先生もレッスンがしたいよ。
でも、まずレッスンの前に拓矢君の準備が足らないね。練習の準備がちゃんとできてないよ。」
そう言って拓矢君を帰らせてから、お母さんに電話をしました。
何故、今日は少し早く家に帰るか。ビデオのこと。なかなか真剣に取り組めないこと・・・などなどを話し「何も知らないふりをして、まず拓矢君の話を聞いてあげてください」とお願いしました。
そのあと数時間してお母さんからメールが来ました。
「先生、話になりません。
あんなに毎日レッスンして下さっても、家で真剣に練習もしてないですし、やはり日曜のコンクールは時間の無駄なので行かない方向で主人に話します。世の中そんなに甘くないことをわからせないといけないので。
さっきまで『嫌だ、先生に電話する』と泣いて訴えていたんですけど、『もうダメ、今さら気がづいても遅いんよ』と言ったら、諦めて練習もやめてしまいました。
本当にすみません。私は全然怒ってないんですよ。
・・・でも拓矢にやる気がないんです。
本当に申し訳ありません」
その後何回かお母さんとメールのやり取りをしました。
- 拓矢君はお母さんやお父さんとは違って、すぐに状況を察したり、理解できる子ではないこと
- お返事は早いけどオウム返しであることが多く、しっかりわかるまでに数回のやり取りが必要なこと
- コンクールを棄権することもありだけど「受けることで気づくこともあるのではないか」と私は思うこと
その日のお母さんは「コンクールは受けさせない」という固い気持ちのままでした。
土曜日の夜、日曜日に受けるのか不明のまま拓矢君にメールをしました。
「こんばんは。拓矢君、明日はコンクールだね。
どうすることに決めたのかな?」
すぐにお母さんから、「昨日のありえない状況に、私も冷静になれなくて・・・すみませんでした」というメールが来ました。
そして、そこには今日一日、すごく頑張ったことが書いてありました。
この頑張りに対して、お母さんが優秀賞をあげたい、とも書いてあり、本当に嬉しくなりました。
「拓矢君、明日はコンクールだね。
今日も一日真剣に頑張っていたことを、お母さんから聞いたよ。結果はどうでもいいの。
こうやってコンクールに向けて頑張ることが大切なことで、明日ステージで勇気を出して演奏してくることが一番、大事なことなの。
先生は明日、会場では聞けないけど・・・ずっと祈っているからね!頑張ってね!!」
そしてお母さんにも
「拓矢君が目の色を変えて、自分からピアノに向き合ってくれて良かったね!」
とメールをしました。
お母さんも
「私の勝手な判断で、コンクールを棄権することにしなくて良かったです」
とお返事を下さいました。
かくして日曜日、拓矢君は自分でも納得の結果だったそうです。
講評をしっかり読んで、一人で反省をしていたそうです。
お母さんの言われる通り、棄権しなくてよかった、と思いました。
実は今回のことを通して、私もいくつかの反省点がありました。
まず、拓矢君にサーカスの話をした時期が遅かったのだ・・・と思いました。
拓矢君は身体の中に音楽があり、意志もあります。
楽しくピアノを弾く、という一番大事なものを持っている生徒です。
ただ、「音を自分で作り出している」という意識が薄いので、注意を忘れたり、簡単にやり直したり、無造作で乱暴な音になっていました。
そのギャップに本人はまだ気がついていません。
もっと早い段階で、拓矢君に「サーカスの掟」をしっかり伝えて「真剣勝負で音を出す、ピアノに向かう」という「心得」を話しておかなければいけなかったなぁ、と後悔しました。
基本的なルールが身体にしみこんでからでないと、サーカスの競技など出来るはずがありません。
そこを納得してもらう時間が足りませんでした。
また、拓矢君が「先生に怒られた」と感じたように、大人が真剣に話すと、言葉が速くなり、強くなり、いつもと違って、生徒たちは怖く感じるようです。
そのことを事前にしっかり話して「ここはとっても大事なことだから、先生は真剣に話すね!」と告知しておく必要がありました。
命懸けでやってもらうには、時にヤクザな先生にもなる・・・ということをきちんと理解してからでないと、私が吠えただけで終わってしまいますから(笑)。
拓矢君はこの出来事のあともまだ、「サーカス団員としての心得」は身についていませんが、有難いことにまだ脱走はしていないので(笑)、この先、立派な団員になるべく、しっかり鍛えていこうと思っています。
追記
こんなことのあった拓矢君も、第26回の発表会(高校3年生になる前)で卒業となりました。
発表会の卒業生のご挨拶では
「『すごい先生のところにピアノを習いに行く』・・・ってお母さんから聞いて、どれだけ怖い鬼みたいな顔をした先生なんだろう・・・と思って行ってみたら、優しかったのでびっくりした」
とか(笑)
「小さい頃、全く人の話を聞かなくて『宇宙人』ってまわりから言われてきたけど、先生は『私も小さい頃はそうだったから、全然、大丈夫』と言って、ずっと辛抱づよく僕に教えてくれた。
お陰で僕は、『宇宙人』から『オタク』になりました」
と話してくれました。
10年近くずっと通ってきてくれて、よくしゃべって、いっぱい弾いて・・・本当に楽しい時間でした。
どんな曲でも耳コピーで弾ける拓矢君は、発表会の打ち上げ恒例の「イントロ当てクイズ」では、なくてはならない存在でしたし・・・。
コンクールを受け続けて、びっくりするような素晴らしい演奏で全国大会の切符をとって来たことも、ありました。
まだ小学校の低学年の頃にピティナの「結果特集号」を見て、金賞の人のコメントを読み、
「もし、僕が全国大会で金賞をとったら、ここに重野先生の名前がド~~ンと出るんだね。やってみたい!」
と目を輝かせながら言ってくれて、思わずひっくり返りそうになりましたが・・・あの時の幸せな気持ちは、今でも忘れることが出来ません。
そんな拓矢君の素晴らしさを、なんとか彼の音楽を聞く人に伝えたい・・・と思い、あの手この手で教えていた頃の、懐かしい「あるある話」でした。
今になって振り返ってみたら、それは拓矢君自身が全部、自分の力で証明してくれていました。
最後の発表会ではラヴェルの「スカルボ」を弾き、成長した姿をみんなの目に焼き付けた、ピアノオタクの拓矢君
卒業した発表会の翌日、「次の曲の楽譜を見せて欲しい」と言って家まで来たのには、私も驚きました。
自慢のピアノ男子です♡♡