発表会を2週間後に控えた週末、モモちゃん(小3)のお母さんからメールが来ました。

レッスンがあと2回しかないというのに、全然弾けていない。レッスンも一向に前に進んでいない。

まだ両手にも出来ない・・・一日中ピアノの前に座っているのに、どうしたらいいんでしょう、という焦りのメール。

片手か・・・確かにそうだったなぁと、モモちゃんのレッスンを思い浮かべながら、練習の様子を動画で送ってもらうように頼みました。

送られてきた動画を見てみたら・・・・

確かにどこも間違っていないけど、拍子も感じられなければ強弱もない、無表情な片手演奏。

モモちゃんはつまらなそうに弾いていました。

前回のレッスンで、私の歌とへんてこな踊りに合わせて弾いてくれた時の、楽しそうなモモちゃんの顔は消えていました。

「動画見ました。ありがとうね!私からモモちゃんへの宿題は何でしたか?」

百華母「強弱をつけて弾くことと、拍子を感じて弾くことです。まだ出来ていませんよね?すみません。これ以上はどうしたらいいのかわかりません」

「(笑) お母さんが宿題をしなくてもいいよ。全然大丈夫です。もうあと2週間しかないから、お母さんの気持ちも焦るよね?

では、今日から両手にしてくださいね、今年の発表会は出来るだけでいいですから、無理しない状態で出ましょうね」

とお返事しました。

お母さんはやっぱり発表会でのまわりのお友達との差が気になるようでした。

百華母「でも周りの人と差がつきすぎますよね・・・・。あまりにも下手な自分の子を見るのが辛いです」

「そうかなぁ。弾けているんだから全然下手じゃないよ。
それに今のありのままを出していた方が来年一年間の成長がはっきりわかるよ。

少しでも恥ずかしくないように、って、今、お母さんが一生懸命とりつくろったら、来年もお母さんがとりつくろわないといけなくならないかな?」

百華母「いえ、私がどんなに頑張ってもみんなのレベルには追いつけません」

「今のそのままを見ていただくことって恥ずかしいことなの?モモちゃんは今、恥ずかしいって思ってるの?」

百華母「あの子は『これでいい、出来ている』と思っていたんだと思います。でも私があんまり騒ぐので、今は『出来ていないんだ』と思い始めて、自信を失っていると思います。」

「そうなんだね。
今あの子が恥ずかしいと思っているなら自分で発表会の日までどうにかするんじゃないかなぁ。

今のモモちゃんはお母さんの表情や反応が気になっていて、弾けているか、出来ているかどうかはその次になっているかもしれないよ」

百華母「でも、少しくらいは人並みに弾いてほしいんです」

「なるほど。
ところで、『人並み』ってどんな演奏なの?
今これだけちゃんと片手で弾けているんだから、2週間できっと両手で暗譜は出来ると思います。それでは安心できませんか?」

百華母「でも、ただ弾くだけになりますよね。」

「わぁ、お母さん、すごくいいところに気がついたね!お母さんのこだわりはそこにあったんだね!素晴らしい!!

来年は『脱!ただ弾くだけ』になるといいね」

百華母「え~?今年はもう諦めるってことですか?」

「モモちゃん自身が『弾くだけ』は嫌だ、と思ってなかったら、どれだけお母さんが大騒ぎしても他人事なんじゃない?どうしてダメだしされているのかわからないと思うよ」

百華母「では、この状態で出るんですね・・・・」

「もちろん最後の最後のレッスンまで、あの手この手でモモちゃんの意識を刺激してみます。でも、今のモモちゃんのありのままを見てもらうことはすごく大事だと思いますよ。」

百華母「皆さん、すごく一年でうまくなられていますよね。どうやって練習させているんだろう、って思います」

「本当ね、この一年で大きく変わった人もいるね。発表会ってそういう意味ではみんなの成長が見れて面白いね。モモちゃんも発表会でみんなの演奏聞いたら何か気がつくかもしれないよ!」

百華母「それでは、何年もかかりそうです・・・」

そして同じころ、絶好調で頑張っていた拓斗君(年長)がインフルエンザになってしまった、とお母さんから電話がありました。

拓斗母「これからリハーサルもあるし、ラストスパートって時にインフルエンザになってしまって・・・予定が大狂いです!」

「まぁまぁ落ち着いて!でも発表会には間に合いそうだからよかったじゃない?今でよかった、って思おうよ!」

拓斗母「今週1週間レッスンが抜けるのも痛いですし、数日練習が出来ないのも痛いですが、治ったらまた頑張ります」

という感じで電話を切りました。

その後拓斗君はインフルエンザも治り、最後のレッスンに来てくれたのですが、なんとなく気が抜けている状態で、いつもの元気もいつもの集中力もない・・・。

「たっくん、まだ元気ないね。この曲を弾くのに、ちょっとパワー不足だね。疲れてる・・?」

拓斗「僕もう治ってるよ。元気!」

拓斗母「あんなに上手に弾けていたのに、すっかり骨抜き状態になってしまって、こんなんで発表会、大丈夫でしょうか?」

「大変だったんだね…インフルエンザ。かわいそうに・・・。でもたっくんが治ってる、って思ってるならどんどん良くなるんじゃない?」

拓斗母「あと3日で間に合うでしょうか?」

「出来るだけでよくないかな。無理しなくてもいいと思うよ」

拓斗母「でも全く別人のような弾き方をしていますよね。もっと上手に弾けていたのに・・・」

「上手に弾けていたことはお母さんも私もちゃんとわかっているから、元気になったら出来ると思うよ。もしも、それが発表会で出せなくても、たっくんに力があることには違いないんだから」

拓斗母「え~~~、でもあの元気な演奏をしてもらいたいです」

「その気持ちもわかるけど、私は今、インフルエンザが治って良かった!発表会に出れてよかった!って思っているから、今年は出るだけでたっくんを誉めたいな」

拓斗母「確かにそれはそうですね・・・」

モモちゃんのお母さんの気持ちもたっくんのお母さんの気持ちもすごくよくわかります。

母親って欲張りな生き物ですし、なかなかど~~~んと構えることが出来なくてあたふたと悪あがきします。

目の前のこと、目の前で起こる結果がすべてのように感じて、今長いマラソンの通過点なんだ、という風に捉えられないところがあります。

二人のお母さんに別々に、同じお話をしました。

今は長いピアノ人生の中の一コマであること。
もしもピアノ人生が100ページあるとしたら、その中のほんの1ページであること。

もしかしたら目の前にあるチェックポイント(発表会)では先頭集団にいないかもしれないけど、走り続けることが大事だということ。

最後まで走り続けて完走することを目指しましょう、その間には誰だっていろんなドラマがあるんだよ、と言いました。

どんなにトップ集団にいる人でも調子の悪いときもあるし、頑張りすぎて無理して途中でリタイアする人もいるかもしれない。

だから自分のペースで最後まで完走できる人は素晴らしいの!

もしも途中でピンチになった時、もしも大失敗して順位がど~んと落ち込んだ時には、今は痛いけど、これは「ごぼう抜きのチャンス!」って考えてね。

ごぼう抜きって、先頭集団にいたら出来ないんだよ。

かなりスタートダッシュに失敗した、とか、途中ペースが崩れてリタイア寸前になった、っていう大失敗がないと生まれないの。

万が一、失敗しても大丈夫。

調子が悪いなりに走り続けるって大事だよ。だから発表会に出るだけで誉められるの。

走りを止めないってすごく大事なことだし、走り続けていたら、これまで言われていたことが急にわかるようになって、急に意識がつながって、わかり始めるかもしれない。そうしたらそこからごぼう抜きが始まるんだよ。

だから、お母さんたちが焦らなくても大丈夫。

手を出してその場を取り繕わなくても大丈夫。

お母さんたちは「その調子!その調子!」って沿道で応援してあげたらいいんじゃないかな?

きっとこどもたちはチェックポイント(発表会)の存在や意味は分かっているから、全力でいい演奏をするよ。

信じて待とうね!

と話しました。

お母さん方の心配をよそに、発表会では、モモちゃんは安定した演奏が出来ましたし、たっくんも輝きを取り戻しつつある演奏が出来ました。

こどもって本当に素晴らしいな、と感動しながら、来年以降の二人の華麗なごぼう抜きシーンが目に浮かぶようでした。

定期的にあるチェックポイント(発表会)を通過するたびに、こどもたちの自信が増えていくように、どんどん「この調子ならもっとピッチを上げても出来るかも!」と思えるような成功体験を積み上げていきたいものです。

うまくいかないこと、ピンチは、チャンスの始まりでもあります。

いつもいつも先頭集団にいることが大事なことではありません。

最後まで笑顔で走り切ることが一番大事なことだと親子で目標を定めたら、沿道からの応援の仕方も変わってきます。
途中はマイペースでも、最後はトップでゴールを切ろう!と目標を定めたら、当然声がけも作戦もペース配分も変わってきますね!

そして、ここだ!というタイミングでスパートをかけた時には、一心同体となって声を枯らして応援することでしょう。

どんな時も沿道から応援し続けている人がいる、転んでもいつも心配して、あたたかく見守ってくれている人がいるということが、走り続けるこどもたちのエネルギー源になります。

私はいつもこどもたちが見えるところに立ち、こどもたちの頑張りに笑顔で大きくうなづきながら、時には一緒に走り、時には頭をひねって作戦を練り、声を枯らして声援を送りながら、それぞれのピアノマラソンのドラマを見守っていきたいと思っています。