ピアノ教室のあるある話
何年も前の話になりますが、主人の仕事の関係で、ある資格を取らなければいけなくなり、全く分野の違うセミナーを受けることになりました。
当時の日記を見てみると・・・
ようやく苦痛な拘束(2日間)から解放されて社会復帰!?しました
「防火管理者」ってプロフィールに書いたら面白いだろうなぁ~
今日も暇(?)だったので、頭に入って来ない原因を色々研究してみた・・・
まず、滑舌がわるい、声に張りがない、早口で話す、相手に考える間を与えず一方的に話す、意味不明の言葉の羅列・・・などなど、気づいたことをノートに書き並べていたら、「あれ~~~これってピアノの演奏と同じだ」と気がつきました。
これがこの2日間の一番の収穫でしょうか・・・
私の後ろの人たちはかなり真面目にメモをとり、あれこれ調べたりして真面目に講義を聞いていました。しかし、最後の試験は納得いかない点だったようでした。私はその人たちよりも少しいい点で、二日間、ずっ~~~~と机に突っ伏して寝ていた隣の男子が、一番いい点でした
講義を聞かずに、テキストだけ読んで答えを探した方が出来が良い、っていう、最後まで疑問の残る2日間・・・
解放されてからは、家に帰って夢中でレッスンしました♪
あ~~~私の住んでいる音楽の世界は、なんて楽しいんだろう
この日記からも、相当退屈な2日間を過ごしたことがわかります(笑)。
まわりには、会社員や保育士の方々が多く、多分その人たちも資格を取るために、仕方なくそこに来ていたのでしょう。午前も午後も周りの人たちの寝息を聞きながら授業を聞く、と言う珍しい状況でした。
興味のない分野とはいえ、授業内容が申し訳ないけど本当に面白くないのです。
眠気を誘い、聞き取りにくい、わかりにくい。
見事なほどまでに、言葉が頭に入って来ず、授業に集中できず、全く聞く気持ちになれない。
私たちが普段受けているピアノセミナーがどれだけ素晴らしくて、ワクワクするものかを思い出し、この違いにびっくりしました。
ピアノセミナー講師のプレゼンの素晴らしさ、飽きさせない内容、話すトーンの明るさ、話すテンポ、使う言葉、表情、あらゆる工夫がされていて、ピアノの先生のレベルってすごいなぁと改めて思いました。
そして学びたいことを学べる幸せも同時に痛感しました。
うちの近所に東大合格率が高い進学校があるのですが、そこの授業参観は、お母さん方の出席率が高いことで有名です。
その理由は、お母さんが聞いても面白い授業だから、だそうです。
「物理や化学がわからなくても面白いの?」と質問したら、「ものすごく説明がうまいんです。楽しいですよ!」と生徒のお母さんに言われて、一度潜りこんで聞いてみたいと思ったほど(笑)。
聞き手の興味をそそるプレゼン、やる気を引き出すトーク、生徒たちの才能を伸ばすも殺すも指導者次第なんだと思いました。
そのことを境に、「生徒が楽しいと思うレッスン」「お母さんが聞いても面白いと思うレッスンをしよう」と強く思うようになりました。
生徒がちゃんと聞かない、練習をしない、うまくならない理由は、プレゼンをする側の責任でもあります。
やる気にさせるためにはどうしたらいいか、目を輝かせるにはどうしたらいいか、が常に私の頭の中に住みつくようになりました。
うちの教室では中学生になったらお母さんの付き添いはなくなり、子供だけで来るようになります。
その時に、お母さん方から「実は今日で終わりなんです・・・来週から寂しくなります」とか「中学生になっても一緒にレッスンについていっていい?って娘に聞いたら、即答で断られました(笑)」と言う声をいただくと、本当に嬉しくなります。心の中でガッツポーズしたくなるのです。
逆に、もしも小学生のお母さん方から「うちの子が一緒に部屋に入らないでほしいって言うのですが・・・」「今日はこどもだけで行かせます」「早く中学生になって一人でレッスンに行って欲しいです」というような言葉を聞いたら、がっかりするのではないか、と思います。
今、そういうお母さんがいない環境でレッスンをさせてもらえる私はもちろん幸せですし、「寂しいなぁ」「もっと一緒に勉強したいな・・・」と言ってくれるお母さんがいて、一緒に親子で頑張れる生徒たちは、本当に幸せだなぁと思うのです。
私が小学生以下のお母さん方にレッスンの聴講をお願いしているのは、「ちゃんと真面目にレッスンを受けているか、失礼な態度や言動がないか、をお母さん方に見張っておいていただくため」でも、「レッスンの内容をしっかり理解してもらって、家でちゃんと練習をさせてもらうため」でもありません。
生徒たちがレッスンで学ぶことを一緒に興味を持って、面白がってもらうことと、こどもたちがレッスンで私にめちゃめちゃ誉められた時の証人になってもらうこと、この二つが目的です。
せっかく練習した曲がレッスンで合格しなくても、うまく弾けなくても、いつも応援してくれるお母さんがいて、「大丈夫、大丈夫!来週また頑張ろう!」と肩を抱いてくれるお母さんがいるからこそ、来週の自分に期待して、頑張れるのではないかと思っています。
私はそういう意味では、まったく呆れた母親で、娘たちが小さい頃に自分で考えながら練習しているときも、聞かれてもいないのにこの口がついつい余計なことを口走り・・・。
アドバイスとは思えないような私の口調に、娘たちは機嫌を悪くして横柄な態度をとる。
その態度に対してさらに上から説教を始める・・・。
という悪循環を何回も繰り返してきました。
それが百害あって一利なしだ・・・とわかった後も、なかなか自分を押さえることが出来ませんでした。
ある時、娘たちの演奏をソファーで聞いていた時、弾き終えた娘が、「お母さんが聴いてる途中に脚を組み替えたから、『あ~~気に入らない演奏だったんだな』って思いながら弾いたんだ」と言ったことがありました。
一生懸命に弾いていても、視界に入る私の動きを常に意識しながら演奏していたんだな、私の反応が気になっていたんだな・・・と思いました。
その後も「途中で肘ついて聞き始めたからダメなんだな、と思った」とか「途中で楽譜に何か書き始めたから、後半自信がなくなった」とか私の動きをよく感じていました。
それらの言葉から、娘たちにとって私は「演奏にダメ出しをする存在」になっていたことにも気がつきました。
そう言われると当然、生徒たちも同じように感じていることがわかります。
しかし、生徒たちは心の中でそう思っていても、そんなことを口に出すことは無いので、私には伝わらない。
娘たちのその正直なフィードバックは痛くもあり、とても有難かったわけです。
今でもじっと動かずに演奏を聴く、というのは結構難しいことです。
そして終わった生徒たちに、言いたいことを一度のみ込み、拍手をしながら笑顔で、「ありがとう!」と言うのも、意識していないとなかなか出てきません。
娘たちは、私の前でピアノを弾くのは緊張して怖かったようですが、主人の前でピアノを弾くのは大好きでした。
それは主人には全く批判的な気持ちがなく、弾き終わったら、毎回必ず「すごい!」と言って拍手をしてくれるからです。
絶対に喜んでくれる、絶対に認めてくれる存在があることは、なんと有難いことでしょう。
二人が「もっとお父さんをびっくりさせたい」「もっとお父さんを喜ばせたい」と思って、目を輝かせて頑張っていたことは言うまでもありません。
そう考えると、主人は「魅力的なプレゼンター」でした。
いつも喜んで聞いてくれて、あたたかい拍手をする。
これも素晴らしいプレゼンであり、最高の黒衣だったのです。
黒衣(くろご)=表に出ないで物事を処理する人。陰で支える人。
今では娘たちもすっかり大きくなり、私よりもうんと大人の考え方になり、逆に教えられることが多くなりました。振り返ってみて、子育てはまさに自分育てでした。
コーチングで「コーチは何も答えを言わない。答えはクライアントの心の中にある」と学びました。
まさにその通り!
「指導」をしなければいけない、という気持ち(母親であれば『何とかしてやらなければいけない』という気持ち)が、いつのまにか指図になり、子供たちを誘導し、思うようにならないことにストレスを抱えていました。
「絶対、私のやり方をした方がいい」と信じていたのですから、今となっては笑える話です。
同じように指導をしても、根底に「きっと、この子は出来る」「きっと、わかる時が来る」と信じて、あたたかく声をかけ、いつも応援し、一緒に目標を目指す、いつもたくさんの承認と共に見守りながら、いくつかの提案をする、というのは生徒の受け止め方が全然、違います。
似たような意味でも選ぶ言葉が違いますし、当時の私には、なかなか出せなかった空気でした。
今も、もちろん修行中です(笑)。
このことは、放任する、諦める、とは全然違いますし、あれこれ口を出し、手を出して子供たちを指図する方がずっと楽な方法かもしれないとも思います。
魅力的なプレゼンをして、生徒たちのやる気を膨らませ、ステージの上で「生徒たちを輝かせる」のが私の仕事。
そして生徒たちがステージに上がったら、私もお母さんも黒衣です。
生徒が悩んでいるとき、うまくいかないとき、お母さんが行き詰っているときは私の出番です。
常にそばで見守り、サポートし、支えていきたいと思います。
どうしたら子供たちが集中してピアノが弾けるか、先生の反応やお母さんの反応を忘れて、無心に演奏をすることが出来るか、を常に優先的に考える。
そして、生徒たちの一生懸命な姿から学び、お母さん方の献身から学び、自分の過去の失敗から学んで、魅力的なプレゼンターであり、究極の黒衣になりたい!と思っています。