ピアノ教室のあるある話
コンクールのファイナルを目指して2年越しでがんばっていた理沙ちゃん(小6)のお母さんからメールが来ました。
この1年余り、どの目標にも「ファイナル入賞」を掲げて、色んなことを犠牲にして頑張ってきた理沙ちゃんでしたが、残念ながらファイナルには進めませんでした。
私自身もすごくショックでした。
なかなか気持ちの整理がつかなかった私に、数日後、お母さんから
「次に向けて気持ちを切り替えて頑張ります」
というメールが来て「切り替えが早いなぁ~えらいなぁ」と思ったものでした。
そのコンクールから10日ほどたって、今度は理沙ちゃんの様子がいつもと違う、というメールがお母さんから来ました。
普段はとっても元気で明るくふるまっている理沙ちゃんですが、やはりコンクールで結果が出せなかったことがショックだったらしい、なかなか次の目標に気持ちが移っていかない、目が死んでいて、やる気が起こらない様子だ、という内容でした。
あ~~~かわいそうな理沙ちゃん。
現実を受け止めなければいけないと思って、ずいぶん無理して我慢していたんだろうなぁと思いました。
思い切り一緒に悔しがってあげればよかった、泣かせてあげればよかった、と思いました。
理沙ちゃんママにちょっと長いメールを返信しました。
私に思い当たる経験があったからです。
理沙ちゃんの場合とは少し違いましたが、ふと浮かんできたその思い出を、思い切ってお伝えする事にしました。
長女が中学1年生の頃、娘もピティナのコンクールで、全国大会に行き、さらに全国大会で入賞することを目指して夏休みを返上して頑張っていました。しかし、その娘に与えられた現実は、全国大会はおろか、本選で入賞もできない、というものでした。
演奏番号が早かったこと、気持ちの準備が出来ないうちにステージに上がったこと、いくつかミスをしてしまったことなどの原因が考えられましたが、私の他の生徒が入賞したこともあり、長女にはなかなか厳しい現実となってのしかかりました。
その日は泣くだけ泣いて、次の日からまた頑張ろう!
1週間後に控えたもう一つの本選でリベンジしよう!
と私も長女に話していたのですが・・・。
翌日から長女はグランドピアノの下にもぐって、ピアノから逃げる、という、まさかの行動を起こしました。
これには私自身もどうしていいのか分からなくなりました。
何を言っても、励ましても、叱っても、諭しても、長女の傷ついた心を癒すことができず、本当に途方に暮れていました。
ピアノの下にもぐって2日たったころ、まったく事情を知らないピアノ教師仲間から電話がありました。
電話での用件が済んで、私は彼女に
「本選でいい演奏が出来なくてね・・・娘が落ち込んでるんだ・・」
と愚痴を言いました。
彼女は
「コンクールだもん、上手くいかないこともあるよね~。でも友歌ちゃんのピアノっていいよね!私は好きだな☆」
と言ってくれて、その彼女の思いがけない言葉に、私は胸がいっぱいになり、自分でも止められないくらい涙があふれました。
その一言で、一番悔しかったのは私だったんだ、と気がつきました。
私の頭の中にはいっぱい納得できない思いがあったのです。
もしも演奏番号が遅かったら・・・とか、どうして他の子が入賞して娘がダメなのか、とか、選曲が違っていたら、とか、現実を受け入れたくなくて、納得できない思いで私自身がいっぱいになっていた事に、まったく気づいていませんでした。
彼女の何気ない言葉に
「あ~~私が欲しかったのはこの言葉だ。私は誰かに娘の演奏を認めてほしかったんだ」
と思いました。
結果が出なかったことで、娘の演奏を全否定されているような気持ちになり落ち込んでいたのです。
そして娘が傷ついていたので、私がまず前を向いて、元気出して頑張らなきゃ、と思っていたのです。
娘は自分自身にも結果にもがっかりしたとは思いますが、それ以上に私を落胆させたこと、私が強がって元気にしていることを感じていたのです。
そして一週間後のコンクールの結果で、私を喜ばせる自信がないことを考えて、次の一歩が出せなかったんだと思います。
私は、自分自身がこの現実を受け入れたくなくて、この事実を忘れたかったから、自分の気持ちを封印して、すべてなかったことにして強引に前を向き、無理やり元気を出していたんだ、と気づきました。
現実から逃げていたのは私でした。
目をそらしていたのは私の方だ、と気づきました。
私だってこんなにショックで気持ちの整理がつかないんだから、娘が逃げたいと思うのも無理はない、と思いました。
電話の後、さんざん自分の気持ちと向き合い、認めてから、娘のところに行きました。
私も娘がいるピアノの下に一緒にもぐり、
「お母さんも悔しかった」と素直に自分の気持ちを伝えました。
「お母さんは今年も全国に行けるだろうと甘く考えていた」
「友歌の気持ちに気がつかなくて本当にごめんね」
「お母さんは後一週間で結果が出せるように友歌を指導する自信がないよ」
「結果ではなく、お母さんは友歌が楽しそうに演奏している姿を見るのが一番幸せなの」
「今、どうしても頑張ろう!という気持ちになれなかったら来週の本選は棄権してもいいよ」
と自分の気持ちを正直に伝えました。
娘も始めは泣いていましたが、しばらくして気持ちが落ち着いたのか「棄権するのは嫌だ」とか、「今度こそいい演奏をして結果を出したい」と、少しづつ話し始めました。
「お母さんは、来週友歌がステージに上がるだけでもすごいと思う。それだけで十分お母さんは幸せだから」と話した上で、
「お母さんに何をしてほしい?」と聞きました。
娘の答えは「もっともっといい演奏になるために、たくさん教えてほしい」でした。
私は娘がピアノの下から出てきてくれたこと、笑顔を見せてくれたことだけで十分幸せで、前向きな言葉や次の本選に向けての野望はおまけのようなものでした。
その日から二人三脚でピアノに向かい、翌週の本選を迎えました。
彼女の渾身の音が、演奏が、私の心にしみました。
もうどんな結果でもいい。
こうしてステージに上がって演奏をしただけで十分で、感謝の気持ちでいっぱいでした。
嫌だ!と言って気持ちを吐き出してくれてありがとう、辛い思いを吐いてくれてありがとう。
娘がピアノの下にもぐる、という行動に出なかったら、もしもあの子がずっと自分の思いを吐き出すこともなく封印して我慢していたら、「いい子」でい続けていたら、私は絶対に自分の気持ちにも、娘の気持ちにも気がつくことはなかったのです。
お母さんのために頑張らなきゃいけない、お母さんを喜ばせたい、お母さんをがっかりさせたくない。
こんな思いでいっぱいだった娘の気持ちに気づかず、
「もっと頑張ろう!」「原因は分かっているんだから次は大丈夫!」「さぁ、気持ちを切り替えてリベンジリベンジ!!」
と檄を飛ばしていたのです。
この経験を思い出しながら、心を込めて、理沙ちゃんのお母さんにメールを送信しました。
「先生のメールを読んで、私が泣いてしまいました。やっぱり私もショックでした」
と返事がきました。
親は時として、子どもの気持ちを都合のいいように解釈して、正論で諭し、自分の無念を子どもに押しつけようとします。
親思いのいい子であればあるほど、自分を責め、親の思いに答えようとするのではないでしょうか?
理沙ちゃんは、その後また前を向いて歩きはじめました。
理沙ちゃんママが、しっかり理沙ちゃんの心が元気になるのを待ち、一緒に歩いてくれたからだと思います。
子どもの心は母親が一番よく分かっている、と思い込んでいた私の経験でした。